ウィリアム・ジェイムズ年譜

1842年( 0歳)
 父ヘンリー(30)と母メリー(31)の長男としてニューヨークにて誕生。

1843年( 1歳)
 父と共に渡欧。

1845年( 3歳)
 父と共に帰米。

1851年( 9歳)
 初めて学校教育(私学)をうける(それまでは家庭教師による教育)。

1855年(13歳)
 父と共に渡欧(リヴァプール、ロンドン、パリ、リオン)。ジュネーブの学校にてドイ ツ語、フランス語を学ぶ。後ロンドンに移り学校教師に学ぶ。

1856年(14歳)
 パリに移る。
 フザンディエ(フーリエの弟子)の学院にて学ぶ。

1857年(15歳)
 フランス西海岸に移る。
 同地にて組織的規則的に学校教育を受ける。

1858年(16歳)
 帰米。W・レヴェットの学校にて教育を受ける。

1859年(17歳)
 渡欧。ジュネーブにてアカデミー(後の大学)に入る。

1860年(18歳)
 ボンに移る。
 シュトロームベルグの私塾に学ぶ。
 一時画家を志望。
 同年帰米。 

1861年(19歳)
 ハーバード大学理学部化学科に入る(以後終生ハーバード大学と関係をもつ)。

1862年(20歳)
 同学部比較解剖学及び生理学科に移る。
 同科にてワイマンとアガッシの影響をうける。

1864年(22歳)
 医学部に入る。

1865年(23歳)
 アガッシのアマゾン探検隊(ブラジル)に参加。

1866年(24歳)
 ブラジルより帰米。
 健康を害し始め、不眠、消化不良、眼病、背痛、憂鬱に悩まされる。

1867年(25歳)
 転地療養、ドイツ語の十分なる習熟、実験生理学の研究のために大学を一時休学、渡欧 する。

1868年(26歳)
 ドレスデン、ベルリン、ジュネーブ、パリ等を訪れ、帰米。論文「Ch.ダーウィンの飼 養されている動物及び植物の変異について」(無記名)。

1869年(27歳)
 M・D論文「風邪論」を提出し医学部を卒業。
 病状次第に悪化。
 心霊現象に興味もちはじめる。
 論文「サージェントのプランセット」(C.E.R.)。

1872年(30歳)
 ハーバード大学で「比較解剖学及び生理学」の講義を担当(最初は非常勤)、後、生理 学の講師に就任。論文「J・モーレイのボルラールについて」(無記名)。

1873年(31歳)
 健康のため渡欧、ロンドン、パリ、トリノ、フローレンス、ローマ、ドレスデン、ブレ ーメンを経て帰米。論文「レイの心的病理学への貢献について」(無記名)。

1874年(32歳)
 「脊椎動物の比較解剖及び生理」を講義、また心理学の講義もはじめる。
 論文「マサチュセッツ州保健会議、第五年次報告」(無記名)、「モーズレーの心的病  気における負担について」(無記名)、「カーペンターの心的生理学原理について」(無 記名)、「ワイマン教授について(匿名)、「ブラッドの麻酔による告示について」(無記 名)。 

1875年(33歳)
 「生理学と心理学との関係」を大学院にて講義。
 論文「W・S・ジェボンの科学原理について」(無記名)、「G・S・ルイスの生命と精神 の諸問題」(C.E.R.)、「ドイツ的悲観論」(C.E.R.)、「チョンシー・ライト」(C.E.R.)。

1876年(34歳)
生理学助教授に任ぜられる。
 前年の講義を学部にても始める。
 論文「ベインとルヌービエ」(C.E.R.)、「ルナンのダイアローグ」(C.E.R.)、「われらの 大学における哲学の教授法」。 

1877年(35歳)
 心理学の講義が生理学より哲学科に移行。
 論文「ルイスの精神の身体的基礎」(C.E.R.)

1878年(36歳)
 アリス・フォン・ギベンスと結婚。
 『心理学原理』の起稿。
 論文「スペンサーの照応としての精神の定義に関する意見」(C.E.R.)、「主観的方法に ついての考察」(C.E.R.)、「R・L・ドュガールのThe Jukes:罪、被救済民の存在、不幸、 遺伝の研究」(無記名)、「動物と人間の知性」(C.E.R.)。

1879年(37歳)
 哲学の講義始める(ルヌービエのエッセイをテキストにする)。
 論文「われわれは自動機械か」(一部P.P.)、「空間的質」(一部P.P.)、「合理性の感情」 (W.B.及びC.E.R.)、「クリフォードの講義と論文」(無記名)、「スペンサーの倫理学の 所与」(C.E.R.)。

1880年(38歳)
 休養のため渡欧、ロンドン、ドイツ、アルプス地方、北イタリア、南フランスを訪れた 後、帰米。
 哲学助教授に任じられる。
 論文「努力の感じ」(C.E.R.)、「観念連合」(P.P.)、「偉大な人間、偉大な思想及びその 環境」(W.B.)。

1881年(39歳)
 論文「反射行為と有神論」(W.B.)。

1882年(40歳)
 休養及び学者訪問のため渡欧、ロンドン、ニュンヘンベルグ、ウイン、ベニス、ブラー グ、フォレスデン、ベルリン、ライプチヒ、リエージュを訪問。
 両親を失う。
 論文「若干のヘーゲリズムについて」(W.B.)、「合理性、活動性及び信仰」「聾唖にお ける眩暈感」(C.E.R.)。

1883年(41歳)
 帰米。

1884年(42歳)
 父の『ヘンリージェイムズ遺稿集』を自己の紹介文をつけて出版。
 心霊学会員となる。
 論文「内省心理学に見落とされたものについて」「情緒とは何か」(C.E.R.)、「絶対論と 経験論」(E.R.E.)、「決定論のディレンマ」(W.B.)。

1885年(43歳)
 哲学教授に任じられる(但し一八八九〜一八九七は、心理学教授の肩書で通す)。
 論文「認識の機能について」「ロイスの哲学の宗教的局面」(C.E.R.)。

1886年(44歳)
 論文「催眠術に関する委員会報告」「霊媒現象に関する委員会報告」「時間の知覚」(P.P.)。

1887年(45歳)
 論文「ガーネー・マイヤー及びポドモアの生存の幻影について」「空間知覚」(P.P.)、「習 慣の法則」(P.P.)、「本能とは何か」(P.P.)、「船酔防止のための示唆」「失われた四肢の 意識」(C.E.R.)、「J・E・モードの倫理学の基礎の序文」。

1888年(46歳)
 倫理学、宗教哲学について講義始める。
 論文「意志が影響を与えるもの」「ジェイムズの意志論に対するルヌービエ氏の批判へ の反論」(C.E.R.)。

1889年(47歳)
 生理学的心理学会出席その他のために渡欧、アイルランド、スコットランド、ロンドン を経て同年帰米。
 論文「延長の心理学的理論」「作図テストに関するミノー報告への覚え書」「信念の心 理学」

1890年(48歳)
 『心理学原理(P.P.)』を完成、出版。
 心理学会の副会長となる(一八九四〜一八九五年会長就任以外、終生それをつとめる)。 論文「隠された自我」「個人の重要性」(W.B.)、「昏睡のある現象の観察記録」。

1891年(49歳)
 ミュンスタバーグの訪問等のため家族同伴で渡欧。南ドイツ、スイス、イタリー等をめ ぐる。
 論文「大学課程の計画的短縮」「道徳哲学者と道徳生活」(W.B.)。

1892年(50歳)
 心理学実験講座をミュンスタバーグに譲る。
 『心理学要論(P.B.C.)』を出版。
 論文「心霊研究がなしとげたもの」「自然科学としての心理学の抗弁」(C.E.R.)。

1893年(51歳)
 子供をヨーロッパに残し帰米。
 講義・演習内容が哲学的、形而上学的になる。
 この頃から一八九九年まで講演多く、内外ともに著名になる。
 論文「空間意識の基本的所与」(C.E.R.)、「ブラドレー氏の直接的類似」(C.E.R.)。

1894年(52歳)
 論文「ブント教授と神経感応の感じ」「情緒の身体的基礎」(C.E.R.)、「ラッドの心理学 について」。

1895年(53歳)
 意識、知識、自我、精神と身体の関係について深くとりくみはじめる。
 論文「幻覚とテレパシーに関する最近の文献の三つの評論」「諸事物の同時的知」   (C.E.R.)、「退化と発生に関する最近の文献の四つの評論」「人生は生きる価値がある か」(W.B.)、「アメリカにおける実験心理学」「W・ヒュルシュの天才と差異について」 (C.E.R.)、シクーによるポールゼンの哲学入門の翻訳に対する「序文」。

1896年(54歳)
 カント哲学について講義。
 論文「心霊研究会の会長声明」「信ずる医師」(W.B.)、「心霊研究」「潜在意識等に関す る最近の文献について」「心霊的自動現象の一事例の序文」。

1897年(55歳)
 『信ずる意志及び一般哲学の他の諸論文(W.B.)』を出版。
 論文「ルイス・アガッシ」(M.S.)、「ロバート・クット・ショウ」(M.S.)。

1898年(56歳)
 多元的宇宙論の考えを具体的に考察しはじめる。
 フランスのアカデミー・デ・シャンス・ラール・ポリティークの外国会員に推挙。
 『人間の不滅性、その主張に考えられる二つの反対』を出版。
 論文「一酸化窒素の影響下にある意識」「ホジソンの恍惚状態の観察」「パイパー夫人 ・霊媒」「哲学的概念と実際的結果」(C.E.R.)、「レーマンとハンセンのテレパシーの諸 問題」B・ミディスの暗示の心理学の「紹介」。

1899年(57歳)
 身体の疲労、衰弱(主に心臓)おこる。
 療養と講演のためナウハイム、パリ、ロンドン、イエール、ジュネーブ等を訪問。
 プロシャ学士院の通信会員となる。
 論文「フィリッピン問題に関する書簡」「再びテレパシーについて」「レーマンとハン センの無意識のつぶやきにおける実験に関するティチェナー教授との論争」。   

1900年(58歳)
 いくつかの自著の仏訳。

1901年(59歳)
 イギリスにおける一回目のギフォード講演、後ナウハイムに休養し、帰米。著作活動の ため講義数を少なくする。
 論文「F・マイヤーの心理学への奉仕について」(M.S.)。

1902年(60歳)
 第二回講演のため渡英、講演後すぐ帰国。
 自己の哲学を根本的経験論、多元的経験論と確信しはじめる。
 『宗教的経験の諸相、人間性の研究』を出版。

1903年(61歳)
 ハーバードよりL.L.D.を授けられる。
論文「Ph.D.の害」(M.S.)、「R・W・エマーソン生誕百年祭の演説」(M.S.)、「F・マイ ヤーの人間の人格と身体的死からの残存について」「人間の考えにおける宗教の役割に ついて」「真のハーバード人」(M.S.)、「ドイツ博物館の貢献について」「ニューイング ランド・アンチ・インペラリスト連盟の第五年次会合におけるフィリッピン問題に関す る演説」「フランシス・ブート」(M.S.)、「スタートの人格的理想主義について」(C.E.R.)。

1904年(62歳)
 論文「ローラ・ブリッジマン」(M.S.)、「シカゴ学派」(C.E.R.)、「自動誘引の事例」「シ ラーのヒューマニズムについて」(C.E.R.)、「フィリッピン政策について」「ハーバート ・スペンサー」(M.S.)、「意識は存在するか」(E.R.E.)、「純粋経験の世界」(E.R.E.)、「ヒ ューマニズムと真理」(M.T.)、平和宴における「短評」(M.S.)、「プラグマティックな 方法」。

1905年(63歳)
 休養及び学会参加のため渡欧、ローマ、スイスを経て帰米。
 論文「活動の経験」(E.R.E.,P.U.)、「事物とその関係」(E.R.E.)、「ヒューマニズムの本 質」(M.T.,E.R.E.)、「いかにして二つの精神が一つの事物を知りうるか」(E.R.E.)、「再 度ヒューマニズムと真理」(M.T.)、「純粋経験の世界における感情的事実の位置」   (E.R.E.)、「トーマス・デビッドソン」(M.S.)、「意識の概念」(E.R.E.)、「心理学的事 実としての宗教」、E・ソーンダイクの心理学基礎への「紹介文」。

1906年(64歳)
 スタンフォード大学教授を兼任。
 論文「スタンフォードの理想目標について」(M.S.)、「若干の地震の心的結果について」 (M.S.)、「パピニとイタリアにおけるプラグマティズム運動」(C.E.R.)、「狂気の絶対 者」(C.E.R.)、「ピトキン氏の根本的経験論反駁」(M.T.)。

1907年(65歳)
 ハーバード大学を辞す。
 『プラグマティズム、若干の古い思考方法のための新しい名前(Prag.)』を出版。
 論文「人間のエネルギー」「ピトキン氏への応答」「人間の力」「プラグマティズムの真 理の概念」「真理についての(ラッセルとの)論争」(C.E.R.)、「真理について、さらに 一言」(M.T.)、「プラット教授の真理」(M.T.)、「絶対者と奮闘的生活」(M.T.)、「透視 力の一事例」「バルセローナ」。

1908年(66歳)
 オックスフォード大学のヒバート講演のため渡英、講演後帰米。
 論文「真理のプラグマティズム的説明とその誤解者」(M.T.)、「大学出身者の社会的価 値」「真理対真理性」「真理という言葉の意味」「多元論と宗教」(P.U.)、「ヘーゲルと彼 の方法」(P.U.)、「M・へーベルのプラグマティズムとアングロ・アメリカの様々な形 式」

1909年(67歳)
 『多元的宇宙(P.U.)』を出版。
 『真理の意味、プラグマティズムの続編(M.T.)』を出版。
 論文「地球の魂及び人間と神の間の中間的存在の教説」(P.U.)、「」私的な活動範囲に おける物理的現象」「ベルグソンの哲学」(P.U.)、「抽象についてのよくある乱用につい て」「パイパー夫人のホジソンの霊の支配に関する報告」「一心霊研究家の決定的印象」 (M.S.)。

1910年(68歳)
 病気治療のための渡欧、パリ、ナウハイム、ジュネーブを経て帰米。
 論文「ブラッドレーかベルグソンか」(C.E.R.)、「神秘主義についての示唆」(C.E.R.)、 「戦争の道徳的等価物」(M.S.)、「ハーバードの偉大なフランス哲学者」「多元論的神秘 主義者」(M.S.)。
 チョコルアの別荘にて死す。

1911年
 『哲学の諸問題、哲学入門(S.P.P.)』をジェイムズ二世の編集により出版。
 『追想と研究(M.S.)』をジェイムズ二世の編集にて出版。

1912年
 『根本的経験論集(E.R.E.)』をペリーの編集にて出版。

1920年
 『論文と評論(C.E.R.)』をペリーの編集にて出版。   

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